2018
09
24

レッテルというやつは、無意識に貼ってしまうからこそ難儀なもので。
「さあ、今からレッテルを貼ろうぜ!」とパーティー気分で勇んで貼りつけるケースなんてそうそうあるものではありませんし、その号令で実際に世の中を動かせる人間となれば、独裁者かファッションリーダーか電通ぐらいのものでしょう。世のほとんどの人間は、知らず知らずのうちにぺたりぺたりとそこかしこにレッテルを貼りつけています。切手のような気軽さで。

僕もそうでした。
自分が自由気ままに生きてきたこともあって、僕はたとえ主義主張が合わなくとも「自分が攻撃されないかぎり他人の意見を頭ごなしに否定することはすまい」と思って今日まで過ごしてきました。それは時として「冷たい」「無関心」と捉えられることもありましたが、いやいやなにを仰いますか、本当に無関心なら僕には誰とでも光速で縁を切る程度の意固地さがあるのです。無視しない時点で尊重しまくっているのですよ。

にもかかわらず、僕は彼らを無意識にずっと冷遇していました。彼らはその親戚たちにくらべて、あまりに没個性に見えたからです。あまりに魅力に乏しいように思えたからです。セブンイレブンに対するポプラのような。

シュウマイ、旨いんですよ。ちゃんと作ると旨いんですよ。