Mar
13
2011

帰り道に立っているよ

帰りの切符は先に買っておこう、といつも思うのに、ついつい買いそびれてしまうもの。

地に足をつけても肝心の地面がぐらぐらしていたら誰だって浮き足だってしまいます。あの日あの瞬間の街のざわついたあの感じ。どうにかして訪れた異変を日常のなかへ収拾しようと努めるのに、胸に絡みついて離れぬざわざわがそれを許してはくれないという、異常事態への片道切符。

それでも僕は日常へ帰らなければならないし、無理してでも日常を生きなければならない。床に散乱するガラス片を踏んづけて赤い血が滲んでも、大事に扱ってきたCDの紙ジャケがべっこり凹んで擦り傷だらけになっていても、中学を卒業する際に作ったクラス全員の寄せ書き入りのマグカップが壊れても、ありとあらゆる被害の直撃した東北地方に比べれば東京など天国。痩せ我慢をしてこうして駄文を連ねることで、僕はなんとか僕という輪郭を保っています。

だって、最近やっと人生楽しくなってきたわけよ。生かされてるからには死ぬわけにいかないじゃない。

あの大きな揺れがあったとき、僕は目黒の雑居ビルの5階で遅めの昼食をとっていました。ココナッツミルク麺などという物珍しいミャンマー料理に舌鼓を打ったその直後、体の揺れを知覚。しかし最初は大したことないと思って静観していましたし、それこそ通りに面した古びた雑居ビルなので、ちょっと車が通るだけでも揺れるようなビルなのかなと勝手に納得しようとしていました。東京は大地震は少ないけれど小地震の頻発する土地ですから、いつもの調子だろうと。

ところが店員さんの様子がおかしい。あきらかに怯えている女性が何人かいて、揺れやすいビルなのだ説は早々に却下されました。そして最初こそ、店長らしき方が「大丈夫、大丈夫」とほかの店員たちを励ましていたものの、天井から吊ったテレビがいよいよぶらんぶらんと鉄棒競技中の体操選手かのように揺れはじめると、あっというまに一目散にドアの外へと逃げていくではありませんか。そう、客を差し置いて。あのあたりが出稼ぎ外国人労働者の清々しさか、などとは今だから言えますが、そのときはもう、置いていかれてたまるかとこちらも慌てて出口へと逃げ出すばかりでした。

がらりんごろりんとめいっぱい音を立てて階段を転げ落ちるワインボトルやコルクボード。あちらこちらから響き渡るなにかの割れる音。目の前の障害物を避けつつ、どこかで起きている事態にも耳を懲らしつつ、打ちっ放しの階段を粛々と下っていきます。

しかし場所は雑居ビルの5階。それも、テナントは飲食店ばかり。火が出たら完全にジ・エンドのパターンでしたから、内心ではかなり焦りもあったはずなんですよ。ただ、自分より焦ってる人と一緒にいると妙に落ち着くものじゃないですか。一人だったら取り乱してたような気がします。一人じゃなくてよかった。つくづく。

この逃亡劇は、実際にかかった時間以上に長い映画のように感じられました。まるで映画の主人公にでもなった気分だ、と不謹慎なことをついつい書いてしまうのは、まだこの段階では事態の深刻さを微塵も把握できていなかったからです。

その後も夜7時過ぎまで、美術館に入ったり川沿いを散策したりカフェでまったりとガトーショコラを頬張ったりなどしていましたし。暢気なものだ、といわれそうですが、本当に暢気だったのです。

いくら歩くのが好きでも、目黒から帰ってくるのは大変でした。距離の問題よりも、自分のペースで歩けなかったから。

道には歩行者の大行列ができていて、なかなか思うようには進めません。それでも、大通りから一本裏へ入れば結構快適に歩けましたので、平均すると時速6.5kmぐらいでは歩けたんですが、しかし僕は何度か言ってきたとおり、東京生まれ東京育ちといっても人生のほとんどを下町の範囲だけで暮らしてきた人間なので、皇居以西はあんまり道を知らないのですね。知らない街の5km歩行はよく知る街の10km分ぐらい疲れます。

有楽町のあたりについてからはようやくホーム感が出てきたので、あとはさくさく裏道を擦り抜けて歩けましたが、今度は疲れが溜まってきててやはり自分の理想のペースでは歩けず。

途中で親戚宅に休憩半分様子見半分ぐらいで寄り道しまして(叔父が大変な物持ちでいらっしゃるので、崩落具合が心配だったのです)、そこでテレビを見てやっと事態の大きさを知りました。

スカイツリーを見てほっとする日が訪れるだなんて思ってもみませんでした。隅田川を越え、鮮明にあいつの姿が見えた時点で、かなり安堵感がありました。急に疲れが出てきたのもほっとしたせいでしょう。

ただ、本当に困難なのはその後でした。

歩いているときは、どうして目黒なんていうめったに行かない土地に出向いた日にかぎってこうなのか、と思ってました。基本的には地元をほとんど出ないで暮らしている人間ですからね。まして、在宅ワーク的な副業(そろそろ収入的には主と副が逆転しますが)をこのごろはじめていますから、あれぐらいの時刻は8割以上の確率で家にいたはずなのです。

しかし、家についてすぐ、出かけていてよかったと思い直すのでした。

わが家は築30年のマンションの11階です。いくら東京の被害が大したことはなかったとはいえ、11階は相当揺れたのでしょう。玄関をあけて唖然。文字どおり、足の踏み場もありませんでした。ガラスの破片もたくさん散らばっています。なまじ父親の前職がガラス屋だったせいで、わが家の戸棚類はガラスがふんだんに用いられていまして、これが地獄絵図。しょうがないので土足です。自分の家に土足で上がる日がくるとは。

僕の作業部屋がなによりカオス。いや、実は僕の持ち物はある程度整理して配置してあったので、本とかCDとかが散乱してはいるものの、僕のものだけだったらそれほど片付けは困難じゃなかったはずなんです。が、狭い家で、かつ父は貧乏人特有の物を捨てられない病気に罹患しているので、父の持ち物が大量にガラスケースに入れられて僕の枕元に置かれているのですね。あと、兄のもう使わなくなった本とかMDとかも。それらがぐっちゃぐちゃ。

もっと酷いのはキッチンで、食器棚は全部倒れてるし食器もほとんど割れてるし、冷蔵庫は揺れのせいで扉が全部開いてしまってるし、レンジは落下してるし、あろうことか窓まで開いている始末。こっちに関してはもうカオスすぎて僕の文章力では上手に描写することもできない。

夜の寝てるあいだだったら、運が良くても流血沙汰だったと思います。運が悪かったら頭直撃。高層階なんて住んでもなんにもいいことないよ。

そんなこんなで、二回の夜が明けてなお、僕の周りはガラクタが散乱し放題です。まだ足を伸ばして寝てはいません。筋肉痛も今がちょうどピークで、ほとんど摺り足のようにしか歩けないのですが、ガラス片と石膏片が落ちてますからなんとか無理して足を持ち上げています。自宅がいちばん心安まらない状況。

しかし生きているからにはしっかりと日常を生きなければならない。もう今日からはいつもどおり、ふだんどおりに生活しますよ。だからこんな誰も読まないような長文書いてるんだ。明日がある人間は生きなきゃならんのだ。

でもすぐ逃げられるように、まだヘッドフォンはしない。